
文政(ぶんせい)
7年2月24日生れ~
明治16年7月6日死去
(1824-1883)
59歳 糸井茂助は久保田藩(くぼたはん)
佐竹南家(みなみけ)に仕えた武士であり、
安政4年(1857)蝦夷地(えぞち)
宗谷に渡って
沿岸警備に従事しました。
幕末の緊張高まる
北辺(ほくへん)防衛の
一端を担った人物です。
明治維新後の明治4年、
茂助は杉沢村横山の地を開墾し、
大豆・小豆(あずき)などの試作を通じて
品種改良に取り組みました。
彼が育成した優良新種
「兄(あに)大豆(まめ)(糸井豆)」は、
地域農業の振興に大きく貢献しました。
横山は粘土質の酸性土壌で、
植物の生育には不向きな土地でしたが、
茂助は「一滴(ひとしずく)の水、
一毛の塵さえ無駄にしない」と
言われるほど、地力増強に尽力。
不毛の地を肥沃(ひよく)な
耕土へと変え、
通りかかる旅人が足を止めて
賞賛するほどの成果を上げました。
また、茂助は農家必読の小冊子
『六種栽培法』を編集し、
県に提出するとともに
一般にも配布しました。
この冊子は国内にも広まり、
農業技術の普及に寄与しました。
六種とは、
大豆・小豆・粟(あわ)
胡麻・蕎麦・茶のことです。
彼は堆肥(たいひ)づくりにも
工夫を凝らし、
どんなゴミも肥料として活用。
疏菜(そさい)・穀類・果物
桑・茶などを栽培し、
日常生活に事欠かないよう努め、
余剰分は周囲の人々に
分け与えました。
その功績を称える
顕彰(けんしょう)碑が、
杉沢の旧県南食肉センター入口の
丘に建立されています。
さらに、明治11年から始まった
種苗交換会にも、
秋田県の四老農(よんろうのう)の
一人として初期段階から参加。
地域農業の発展に尽くした
その姿勢は、
今も語り継がれています。
