

弁天地域センター西方の畑地の
広範が野尻遺跡であり、
昭和30年代の中頃そこから
石器や土器が出土しました。
山下孫継(やましたまごつぐ)先生の
調査によりますと、
年代は今から5~6千年前の
縄文前期の遺跡であり、遺物は、
磨製石斧(ませいせきふ)や
美麗な石箆(いしへら)、
片面加工の小形打製石斧、
極小の正三角形に近い
石鏃(せきぞく)などの石器と、
縄文文様(もんよう)の
はっきりしている小破片の
土器が多数出土しています。
縄文前期の気候と地形は、
第4氷河期が終り
気温は著しく高くなって
山地の氷河が融け海に注いで、
低い陸地が水中に没するようになり、
その結果樺太(からふと)や
千島(ちしま)が
大陸から切り離され、
北海道が本州から分離して、
日本列島は現在とほぼ同じ様な
地形であったと思われます。
また、当時の男鹿半島(おがはんとう)の
動植物相は、
現在の鹿児島の辺りに
繁茂している動植物に
似ていることから、
当時の東北地方は温暖で雪の無い
雨の多い気候であったと思われます。
縄文前期の土器は、輪積(わづ)み式で
底部(ていぶ)が平底(ひらぞこ)になっており、
また、底面には往々(おうおう)にして
網代(あじろ)文様が印されて
いるものもあることから、
この頃にはすでにカヤツリグサなどで
編んだ莚(むしろ)などがあり、
屋内でも敷物として
用いられていたと思われます。
住居は、竪穴(たてあな)が
かなり深く造られるようになり、
側溝(そっこう)を巡らすものも現われ、
屋内には炉が造られ、
主炉の外に副炉を伴うものもあり
人間らしい快適な生活を
していたと見られます。
人々は、栗(くり)やクルミなどを
採集し筒形土器に保存するなどをして
主要な食料とし、
それに近くの皆瀬川(みなせがわ)や
雄物川(おものがわ)で
漁した鮭や鱒(ます)を加え、
また、鹿やノウサギなどを
狩猟して食すなど、
充分に豊かで平和な
生活を営んでいたことと思われます。
所在地
湯沢市森字野尻
