湯沢市弁天地域歴史探訪

角間古戦場
(戊辰の役)

角間古戦場(戊辰の役)
(かくまこせんじょう
ぼしんのえき)



慶応4年(1868)8月8日、 秋田藩、

長崎藩などの 官軍と仙台藩、庄内藩などの 幕府軍が、 角間の皆瀬川原などで
壮絶な戦いをしました。 8月7日、幕府軍は湯沢において 軍議をめぐらし、 横手城を一挙に攻略することとし、 松平甚三郎(まつだいらじんさぶろう)率いる 庄内藩一番大隊は本道を、 酒井吉之亟(さかいきちのじょう)率いる 庄内藩二番大隊は浅舞道を、 仙台、一ノ関勢は西山に沿って進み、 また庄内勢の一隊は 東部山麓の間道より北進し、 小安口(おやすぐち)より侵入してきた 仙台勢と合流する 作戦のもとに行動を 開始しました。

これに対し官軍は、 皆瀬川を挾んで敵の進入を 阻止する態勢を整え、 本道には薩摩、小倉(こくら)隊に 横手の一隊を配し、 浅舞道には長崎振遠隊を、 またその左右に湯沢の陣代、 早川輔四郎(はやかわすけしろう)、 佐五郎(さごろう)隊を、
そして西方の佐馬村に 茂木秀之助(もてぎひでのすけ)隊を配し、 大沢口方面には
古内左惣治(ふるうちさそうじ)隊を 向わせました。

翌8日、夜明けより 壮烈な戦いが始まりました。

両軍は皆瀬川の上流増田川原より、 古内岩崎川原、 柳原、 志摩(しま)、角間川原、 今泉、左馬川原まで 攻防戦は数里に及び 展開されました。

浅舞道の酒井吉之亟が率いる 幕府軍はおよそ300余人、 大砲3門をもって角間より進出し 川を隔てて砲撃しました。

早川輔四郎隊80人と 茂木秀之助隊50人がこれと戦い、 更に石田英吉(後に4代秋田県令となる。)が 率いる長崎振遠隊と
佐賀藩の2隊に 梅津専之助(うめずせんのすけ)隊が加わって 官軍の意気があがり
奮戦を続けますが勝敗は付かず、 佐賀隊は時宜(じぎ)を見て、 川を渡り敵の側面を突くが その時佐賀隊の 偵察隊が帰ってきて、 「東の十文字(じゅうもんじ)口は
すでに破れ、敵兵はわが方の 背後を絶とうとしている。」との 急報により、 諸隊順次に植田、浅舞に引揚げ、 幕府軍もまた角間に引揚げました。

官軍は20名ほどの戦死者と 20数名の負傷者を出しながらも 湯沢隊の踏ん張りもあり 幕府軍の侵入を防ぎ止めました。
沢総督は 秋田藩主の 佐竹義尭(さたけよしたか)に 祝詞を送り、 早川輔四郎の
この日の戦闘振りを 激賞したと言います。 






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